高次元の勉強を続けてきて感じた事や実際にあった体験をお話したいと思います。
私はひと月に一度の勉強会を待ち遠しくてとても楽しみしています。
初めの頃、スピンで浄化を出来ることが嬉しくて、毎日家族の事をスピンで浄化していました。
ある日、ひとりの友達のことが頭に浮かんできて、その人の浄化をはじめるとキューンと胸が熱くなり涙があふれて来ました。とても喜んでいるなと感じました。
又、弟のお嫁さんの事が気になりスピンで浄化しているとお嫁さんが目の前に現れてニッコリ笑っているのが見えました。
私は浄化する事が嬉しくなって来て、もっと妹や弟を浄化しようと思ってスピンで浄化していると急に頭が痛くなってきました。
何故だろう思い色々と考えてみてすぐに気付きました。まずは自分がしっかり勉強して力を付けてからでないと人様の事は出来ないのではないかと思いました。この事に気が付いたら頭痛はいつのまにか消えていました。
中級でスプーン曲げをした時のことです。皆さんは簡単に曲がったのに私のスプーンは硬くて曲がりません。隣のKさんが、私に「曲がるよ、出来ているよ」と、教えてくれました。でも、私にはそのタイミングが解らなかったんです。
私がいつまでも曲げられないでいると「今だよ」と言って私の指の上からやわらかく押してくれました。すると、スプーンは不思議とスーっと曲がりました。
私はとっても感動してしまい、もう嬉しくて家に帰ってから夫に曲がったスプーンを見せました。夫は信じられないなーと言いながら曲がったスプーンを不思議そうに見ていました。
夜ひとりでもう一度スプーンを曲げたいと思い勉強会での感覚をもう一度思い出しで曲げようと必死でした。でもスプーンは曲がりません。
もう疲れてきて諦めよう思いましたが、スプーンを曲げたいと思う気持ちがなぜかしらどんどん強くなって来て、今しないときっと出来ないと思い、どうしたら曲がるのか、楽波動研究会の吉村先生に言われた様にイメージして、やっていましたがやっぱり曲がりません。
その内、瞑想状態に入っていました。
神様、私にスプーンを曲げさせて下さいと、一心にお願いしていました。すると、右脳の高い所から光が出て来て、その光は大きくなり、金色でシャワーのように降ってきて頭から全身に光を浴び、私を包み込みました。
私は感激で涙があふれ、有難う御座います、有難う御座います、と繰り返し言っていました。そしてスプーンを持ち、前に押しました。スプーンは練り飴の様にグニャと曲がりました。時計を見たら3時間かかっていました。この時はまだまだもっともっと勉強しなくてはいけないと感じました。
上級になって、益々楽しくなり出席するだけで嬉しかったのです。ある勉強会の日、朝いつもの様にご仏壇にお茶をお供えしてお祈りしていました。
突然アナハタチャクラから茶筒の様な長い光がビューと出て来て仏壇の中の父の位牌の中へ吸い込まれる様に入って行きました。
私は目を開けていましたので、その光が見えてびっくりしました。見た後にとても幸福な気持ちでいっぱいになりました。
この日より「私、私幸せやねん」と言うようになりました。そう思うとなぜかしら突然実家の母の声が聞きたくなりました。
母にお礼を言わないといけないという気持ちになりました。母はアルツハイマーですが体は元気で用事も出来、毎日部屋の掃除や炊事をやっていますが、会話だけは今話した事をすぐ忘れてしまいます。同じ話を何度も何度も繰り返しします。
母は弟の家族と一緒に暮らしていますので、弟やお嫁さんには色々とお世話をかけるなぁといつも本当に感謝しています。私は、母に電話しようと思いながらも、ついつい日が過ぎてしまいました。でも今日こそは電話しようと思い電話をかけました。
母の声が受話器の向こうから聞こえて来ました。私は母の声を聞いただけで涙が出て声になりませんでした。
私は「お母ちゃん、元気?私ね、すっごく幸せやねん、私を産んでくれて有難う。」と言いました。私の声は涙でかすれて聞き取れないぐらい小さい声しか出ませんでした。母は「良かったなぁ、ご主人が良い人やからでぇ、大事にせなあかんよ、大事にしてあげてや。」と言ってくれました。
本当に夫には感謝する事ばかりです。私が元気で明るくいられるのは夫のお陰です。有難う。
新しい年になり、実家へ挨拶に行きました。母の手をにぎったら感覚が前と少し違うように思いました。母と私の手が吸い付いて一つになった様に感じました。母の事がとても愛おしく、感謝で胸が熱くなりました。私はお母ちゃん有難う、有難うと言っていました。
私の息子は、現在26歳。早産により右手右足が不自由になってしまいました。
小さい時は、訓練訓練の日々でした。努力してコンピューターや自動車の免許を、人の3倍かかって取りました。
その息子から学んだことをお話ししたいと思います。
息子は心身の自立のため、知人のお坊さんに厳しい修行をしていただきながら、初めての一人暮らしを一年半続けていました。
しかし、4月の終わり頃から何度もやめて家に帰りたいと言うようになり、その都度「ダメ、頑張れ」と私は言い続けてきました。
とても控え目で、頑張り屋の息子がそんなことを言うのは余程のことなのに、『ここまで頑張ったのだから、あと少し』『今まで甘い親だと思われていたから、何とか頑張らせなければ』と、自分のことだけを考えて、説得していました。
息子は、5月中はひきこもり状態で、狭くて暗い部屋に閉じこもり、持病のアトピーの為、横になっても痒くて眠れず、睡眠不足が続いていました。
不自由な体で、トイレに行く度に靴を履きかえ、シャワーに行くのにも荷物を持って急な階段を降りなければならず、とても不便な生活に耐えてきました。
その間、夢と現実の狭間で、痒みのため、辛かったこと、怖かったことを思い出して大声を出して叫ぶこともあったようです。
6月2日、久しぶりに私と一緒に仁和寺の88か所巡りをしました。ホツとした途端、今までの自分を責め始め、「自分が悪い、自分が悪い、死にたい」と言うようになってしまいました、何日もそうやってほとんど寝ない状態で朦朧(もうろう)としていたようです。
6月6日に出会った時に、「家に帰ろう」と息子に誘うと、「帰ろうかな」と頼りなげに言いました。あまりの元気のなさに驚き、慌てて家に連れ帰りました。
その日の夜は言葉をかけても反応鈍く、目がすわってニヤツとしたり、普通に戻ったりしながら、寝かそうとしてもすぐ起きだして一睡もしませんでした。
翌日の7日は、楽波動研究会の勉強会があり、電話で事情を説明すると、皆さんで息子に光を降ろしていただけることになり、遠隔ヒーリングもしていただけるとお聞きし、安心しました。
楽波動研究会の吉村先生には、「人間は3日ぐらいまでの徹夜なら頑張れる。4日から6日なら朦朧(もうろう)とし、7日から10日経つと百人が百人とも夢か現実か分からなくなる」と言われ、目がすわって心がどこかに行ってしまったこの状態は、異常なんかではなく、何日も寝なかったなら誰にでも普通に起こりうることだと聞いて安心しました。
『思いの波動が伝わる』ということで、すぐには変わらなくとも『必ず良くなる』という思いだけを頼りに、その日の夜は、一晩中、とにかく私自身が『穏やかに、在る』ということだけを心がけました。
『自分が出した波動が今返ってきていること』『自分がアトピーではないことや、体の不自由を実感していないので、本当の意味で息子のつらさが分かっていなかったこと』を反省しました。
次の日も、息子はやはり目を開けたままでした。
夜、『今まで無理をさせたこと、本当の気持ちを分かろうとせず、見ないようにしてきたこと』を詫びて、心から「ごめんね」と何度も言いました。
「自分が悪い、自分が悪い」と言う息子が本当に不憫で可哀そうで愛おしくなりました。
息子に「誰でも同じ状況ならそう思うよ」と言ったのですが、最初のうちはそれを理屈で話していました。でも、最後には、言葉ではなく心で伝えられたように思います。
こんなに何日も寝られず苦しんでいる息子を見て、今まで理屈で励まし続けた自分が情けなく、本当に申し訳ないことをしたと思いました。
それでも私は睡魔には勝てず、ベッドの縁にもたれて、「ごめん、お母さん眠くなっちゃった」と言うとそっと隣に寄り添って、背中をさすってくれながら、ふと気付くと息子もそのままの姿勢で眠っていました。
そしてベッドに寝るよう促すと、そのまま12時間も、一度も痒くならずに、いびきもかかず死んだように眠り続けました。
今回のことは、ここ何年か安心しきっていた私のまだまだ至らない点を、きっちり見せてくれました。
5~6年前に息子がよく似た状況になった時は、不安でパニックになりながらも強い心で乗り越えましたが、私の心配やイライラ、不安が伝わり、治るのに半年かかりました。
でも今回は、自分自身も勉強してきたことや、何より楽波動研究会の皆さんが力を貸してくださっているという安心感、そして目に見えない存在の大きな助けを感じることで、なんと、会って4~5日で元の息子が返ってきました。本当にありがとうございました。